
キャリアステップCareer Step
CAREER 01
若手からさまざまな業務を経験。
周囲のサポートにも支えられ、
日々成長を続ける。
H.K
貨物事業課
2019年入社 エアポート科卒

⼊社理由
元々は地元の福岡空港で働ければ良いと考えていましたが航空関係の専門学校在学中に航空貨物について知る機会がありました。調べていく中で当社のことを知り、せっかくなら羽田空港という規模の大きな空港で働いてみたいと思い入社を決めました。
1年⽬
入社後の新人研修を終えて実際の出発便業務のOJTが始まりました。私は生鮮貨物を多く搭載する便にアサインされました。研修で業務の流れや基本、社内システムについては学んでいましたが、担当するフライトは社内外の複数のシステムを操作する必要があり、まだ自社システムすら使いこなせていなかったため、OJTトレーナーの先輩に助けられながら必死で業務を覚えました。また、生鮮貨物がメインであったためタイムプレッシャーが強く、どうすれば効率よくできるか、何か改善できることがないかを常に考える習慣が付き、それを今でも継続しています。
3年⽬ ①
貨物事業課への異動が決まりました。上司から異動を告げられた際には驚きよりも、どんな部署なのかすら知らない状態でした。顧客との契約業務、実績管理等を行っている部署と説明され、自分に務まるのかとても不安に感じたことを覚えています。
異動後は、今まで考えたこともなかった顧客企業との契約関連業務や実績管理業務を担当することになり、今まで自分が関わっていなかった部分に関する業務も多く、常に勉強しながら業務に取り組んでいました。

3年⽬ ②
貨物事業課に異動して半年が経ち、初めて新規顧客との契約を担当することになりました。当社の事業的にも新規の契約はあまり多くはなく、数年に一度ほどのペースと聞いていたため、早々にその機会が来たことに驚きました。契約交渉を海外の担当者と行うこととなり、交渉の進め方や社内での調整、分からないことだらけでしたが、上司や他部署の方々にフォローをしてもらいながら、なんとか契約を締結することができました。

CAREER 02
開業、災害と、多くの経験を積み、
理想のチームづくりを目指して邁進。
S.M
輸出第二課兼輸出第三課 課長
2009年入社 国際農業開発学部卒

⼊社理由
当社は2006年に設立された新しい会社で、開業に向けての熱意が溢れていました。そんな当社で一緒に働き、羽田空港の再国際化で、国際物流に大きく貢献できる新規事業の立ち上げにとても魅力を感じ入社しました。
2年⽬
羽田空港の国際貨物ターミナル開港に向けて、会社全体が一丸となり、熱意を持って取り組んだ日々がありました。入社1年目は輸入部に配属されましたが、当社には現場がなかったため、貨物の知識を深めるために成田空港へ出向し、様々な経験を積ませていただきました。
2年目には羽田空港に上屋が立ち、システムに不完全な部分が残りつつも、オペレーションが可能となり、開業を目前に控えていました。私は成田空港での経験を活かし、羽田空港に合流しました。羽田空港では開業に向けて、最後の詰めが行われており、仮想の貨物を作成し、実際のオペレーションを何度もシミュレーションし不具合を開業に間に合わせるために修正する日々が続きました。期待と不安が入り混じる中、全員が一丸となり進んでいました。
羽田空港での最初の便は上海からの輸入フライトで、貨物のハンドリングが大きな混乱なく終わった時の達成感は社会人生活の中で最も印象深い思い出です。
3年⽬
東日本大震災の中で物流を止めないために最善を尽くしました。
震災が発生した時、私は会社の寮にいました。東京でも地震が発生し、ビルが歪んで見えるほどの揺れを感じました。出勤すると羽田空港は大混乱に陥っていました。成田空港の貨物上屋が損傷したため、成田空港に到着予定だった貨物が羽田空港へ流れてきていたためです。羽田空港の施設・人員ではとても対処しきれない物量でしたが、羽田空港が物流を止めては航空貨物全体に影響を及ぼしてしまうため、輸入チーム全員が必死に対応しました。羽田空港の物流を止めることなく乗り切った時、国際物流に貢献できた喜びを感じました。

5年⽬
輸入業務では先輩方の指導のお陰でラインの責任者まで経験を積むことができ、5年目には輸出第一課へ異動しました。
輸入とは全く異なる業務内容に戸惑いながらも、同僚や先輩、後輩のフォローを受けながら業務を覚えていく日々が続きました。輸出業務では定時性が求められる業務特性から、各工程の作業時間を削減するため、チーム内で様々な作業の補助ツールが作成されていました。私も最初はPCについてあまり詳しくありませんでしたが、先輩方に指導してもらい課内の様々な補助ツールを自身で作成できるようになり、作業工数の大きな削減に貢献することができました。
この成果により翌年、TIACTのオペレーションシステム変更プロジェクトのメンバーに選ばれ、システムの導入に携わることとなり、立ち上げ期の先輩たちから、システム導入のノウハウを学び、社会人として多くの学びを得ることができました。
また、システム導入では新しいシステムへの変更に伴い失われる機能に対して、自分でツールを作成しました。基幹システムの変更という業務的にもインパクトの大きいプロジェクトでしたが、大きな混乱もなくシステムの移管に成功しました。新し知識を得る喜びと楽しさを感じ、自身も大きく成長できる日々でした。
8年⽬
輸出業務で3年が過ぎた頃、ラインデスク兼社内調整の役割を経験しました。その中でも特に記憶に残っているのが、システムの再度の変更と大阪を直撃した台風10号です。
台風10号では、関西空港が浸水と空港と陸地を繋ぐ橋が破損したことにより機能が停止しました。その結果、関西空港に到着予定だった貨物が羽田・成田の両空港に流れ込み、東日本大震災の時と同様に貨物が溢れていました。この災害時には、輸出ライン責任者として飛行機を遅らせず物流を止めないために、現場の対応可能な業務量を見極めながら対応しました。物量が戻るまでの間、飛行機を遅らせることも物流を止めることもなく、現場オペレーションを守ったことは、私の社会人生活の中で誇れる仕事の一つです。
もう一つの記憶に残る経験は、システム移管です。この時は輸出チームのシステム移管のリーダーを勤めさせていただきました。過去の経験を活かしつつ、プロジェクトの進捗管理などリーダーとしてのスキルを身に着けることができました。初めての大きなプロジェクトのリーダーで要領が分からず苦戦しましたが、プロジェクトリーダーの先輩のフォローと、チームメンバーの後輩に支えにより、混乱なくシステム移管を成し遂げることができました。この経験を通じて、リーダーという役目の難しさとやりがいを学びしました。
10年⽬
入社10年目に輸出の受付を担当する部署へ異動しました。当時、受付の部署は品質が安定せず組織の立て直しが急務となっていました。輸出での経験や、プロジェクトを経験していたため、立て直しというミッションに気後れすることなく、チャレンジしたいと思い異動を決意しました。異動先では調整役として業務を行いましたが、組織の立て直しは思った以上に難しく、壁にぶつかることが何度もありました。しかし、強いリーダーシップを持つ上司と頼れる同僚、素直でやる気に満ちたチームメンバーがいてくれたことで、チームの品質も安定し、とても良いチームへと成長しました。この経験を通じて、チームマネジメントの成功を収め、社会人として最も多くを学ぶことができました。
また、チームが軌道に乗ってきた時期に、第三子が生まれ育休を取得しました。これまで仕事ばかりの日々でしたが、家族と共に過ごすかけがえのない時間を持つことができました。この時間は人生の中でも一番の思い出となりました。人員的には決して余裕がある状況ではなかったですが、快く育休に入らせてくれたチームメンバーと会社にとても感謝しています。

15年⽬
管理職として再度輸出第二課へ異動しました。これまでの経験で学んだことを活かし、最高のチームを作りたいと考えています。現在のメンバーは皆、責任感と自主性があり頼れるメンバーばかりです。初めての管理職ですが、このメンバーであれば必ず目標としている最高のチームを実現できると確信しています。